【投稿者:ヒカリ(仮名)/50代・男性・兵庫県】
友人の裏切りというものが、これほどまでに心を痛めるとは思わなかった。過去に経験した中で、一番辛く、悲惨な体験だったと思う。あまりにも残酷で、自分の心情を整理するのにどれほどの時間を要したか、今でもはっきりと思い出せる。
あいつとは、幼い頃からの付き合いだった。幼稚園、小学校、中学校と、ずっと一緒に過ごしてきた。傍らにはいつもあいつがいて、当然のように支え合って、笑い合った。たとえ少しのいざこざが
[member]あっても、最終的にはお互いに謝り合って、また元のように戻っていた。親友という言葉そのものだった。
高校に入ってからも、同じ学校に通うことになり、周囲の環境が変わっても二人の関係は変わらないと思っていた。しかし、あの日を境に、全てが変わってしまった。
ある日、クラスメイトから妙な噂を耳にした。「お前、○○に裏切られてるらしいな。」そんな訳ない、その一言で片付けたかったが、疑念は晴れず、心の奥底に澱のように溜まっていった。そして、その後も同じ噂を何度も目にし、耳にする度に、心が痛むのを感じた。
確かめたい・・・。そう思った僕は、意を決して本人に直接尋ねてみることにした。すると、驚くべきことに笑顔を浮かべながら、「別にいいじゃん、そんな大したこと」だと言った。そのときのあいつの無邪気な笑顔が、いまでも鮮明に焼きついている。
事実を知りたい、そう願うばかりだった僕に向けたその言葉に、どうしようもなくショックを受けた。心の中で何かが壊れる音がしたようだった。どんな理由があったにせよ、その行動の結果が何を意味するのか、なぜ理解してくれないのかがわからなかった。あの日以来、どうしても埋めることのできない溝を感じるようになってしまった。
そのあと、あいつは何事もなかったかのように接してきたけど、心の中では不信感が拭えないままだった。一度築いてしまった溝は深く、あとはもう分断された関係を、元通りの形には戻すことはできなかった。
いるはずのない孤独感、居場所がないと感じる日々。その心の傷は、自分の内側に深く刻み込まれている。今でもそのことをふと考えるたびに、胸が締め付けられるような痛みを感じずにはいられない。
その後も学びの場は続いたが、自分の中で安心できる、心許せる友人を再び得ることはなかった。心に深いくぼみと化して、誰も触れることのできない場所にそれは未だ存在し続ける。それを引きずったまま、孤独に過ごす生活は思いのほか困難で、もう完全に笑うことすら難しく感じる。
友情という名の元に裏切られることはこれほどまでに人を傷つけるもので、その経験が形づくるものは消えることがないのだという現実。あの日のことは、決して過去の出来事として片づけることができない。信じていた者に裏切られる痛み、その苦しみを抱え続けている自分がいる。この事実を認められず、今も自問自答を繰り返している。
結局、本当に信頼できる人なんて、この世にいるのだろうか。心の中ではいつも問い続けるが、答えなんて未だに見つからないままだ。それでも、生きるために前に進まなければならない現実がある。それが余計に、今の僕を苦しめている。計り知れないほどの寂しさを抱きながら、生きていくことの無意味さを日々実感しているような気がしてならない。それでも、信じ続けるしかないのか。いや、信じたいと思わなければ、どこにも行けないのだろう。そんなことを考える自分が、どこへ向かおうとしているのか、何ができるのか、まだ何もわかっていないような気がする。今もなお、心の叫びは続いている。[/member]