【投稿者:ユウキ(仮名)/40代・女性・岩手県】
私は30代半ば、健康にはそこまで気を使わずに過ごしてきました。仕事も充実していて、家族とも良好な関係を築いていました。しかし、人生は思わぬ形で私を襲いました。それは、ある日突然の体調不良から始まりました。
単に風邪だと思って放っておいたのですが、数日経っても回復しないどころか、悪化する一方でした。いつもなら医者なんて大袈裟だと思ってしまう私ですが、その時はさすがにおかしいと思い、近所のクリニック
[member]を訪れることにしました。そこで下された診断は軽いもので、処方された薬を飲み続ければすぐに良くなると言われました。
信頼して薬を飲み始めましたが、症状はますます悪化。心配した家族の勧めで、大きな病院で再検査を受けることに決めました。そこでの診断は、初めのクリニックでの診断とは大きく異なるものでした。医師から告げられた病名は、治療が遅れると大変危険なものでした。
あのクリニックで適切な診断がなされていれば、こんなことにはならなかった。それを考えるたびに、どうにもやりきれない思いが込み上げてきます。私は、そうして「医療ミス」という非情な現実に直面しました。
重い治療の開始を余儀なくされ、すぐに入院。健康だったころの自分が偽りだったような感覚に陥りました。毎日が不安と絶望の中で、痛みと戦いながら過ごす日々。体はもちろん心もすり減っていくのがわかりました。周囲の友人たちも励ましてくれましたが、心の奥底にある怒りや悲しみは晴らすことはできませんでした。どうして私が、という気持ちがどうしても消えません。
安静にしていなければならず、活動が制限される私の生活。仕事を離れなければならなかったことも、将来への不安をさらに増大させました。そして、何よりも大切だった私の「健康」が、一瞬で奪われたことが悔しくてたまりません。
医療を信じていた自分が馬鹿だったのか、と思えてくることもあります。でも、医療に対する不信感を抱きながらも、治療を頼らざるを得ない現実。誰かを責めたい思いがあるのに、その矛先をどこに向けたらいいのかわからない。そんな日々が続いています。
家族が心の支えになってくれることに感謝しながらも、迷惑をかけているという負い目も感じてしまいます。自分の介護をする彼らを見ていると、自分の存在が誰かの負担になることが苦しくて仕方ありません。
私の心の中で鳴りやまない「どうして私だけがこんな目に」という叫び。今も、治療の合間に病室でひとり考えてしまいます。これからどうやって生きていけばいいのか。この先、一生健康を取り戻せることはないのだろうか。自分の未来は真っ暗闇の中にあるような気持ちがしてなりません。
こんな私の姿を見て、「かわいそうだ」と思ってくれる人はたくさんいます。けれど、その言葉さえも虚しく聞こえる自分がいます。同情してくれることには感謝しなければならないとは思いますが、正直、それ以上のことは何も望まず、ただ自分の健康が戻ることだけを願っています。
今も病院のベッドの上で、ただただため息をついています。医療ミスがなければ、という思いが頭から離れません。現状を受け入れるしかないのはわかっていても、その苦しみはどうしても消えることはありません。健康を失ったことで見えてしまった自分の無力さが、ただ悲しいです。体が動かせないこの状況で、心もまた同じように動けずにいる自分が、やりきれない思いでいっぱいです。[/member]