【投稿者:ひかり(仮名)/50代・男性・鳥取県】
自分の人生において、愛を感じた瞬間がいくつあったかと考えると、正直、数えるほどしかない。それが一番顕著に現れているのが、毎日の食卓での出来事だった。家族の中にいても孤独を感じる瞬間とは、奇妙なものだ。情けなく思える反面、その感情が圧し掛かることで自分がかろうじて「生きている」ということだけが実感できるのだから、皮肉でしかない。
自分の家族は、いわゆる機能不全家庭というやつだ。部屋の掃除も、洗濯も
[member]、料理も、すべて母親一人が担っていた。父親は社会の歯車に甘んじ、家に帰ってくるのは夜遅くだった。ここまでは、よくある話だろう。でも、問題はその先。食事の時だ。
みんながそれぞれの皿を前にして座っているのに、不気味な静寂しかない。食器のカチャカチャという音だけが室内を支配する。いつからこんな風に変わってしまったのか、はっきりとは覚えていない。ただ、母親が偏頭痛に苦しむあたりから会話が徐々に少なくなり、ついには糸が切れたようになってしまった。それが言葉を交えることがない食卓の始まりだった。
自分自身も、その影響を大いに受けた。會話のない中で育つと、自然と自分を表現することが億劫になる。家を飛び出すまでは、新しい友達を作ることに抵抗があった。なぜなら家庭で得たものといえば、拒絶と無関心だけだったからだ。
自分の心の叫びを正直に言うと、「ここから逃げ出したい」といつも思っていた。だが、それでも逃げる勇気がなかった自分が一番悔しい。何かに縛られたかのように、その消耗した家庭環境の中にずっと留まり続けていた。毎日毎晩、自分にそんな問いを投げかけるが、答えも出ない。ただ、俺の心が割れてしまいそうになるのを必死で抑えていただけだ。
学校から帰れば、冷たい食卓が待っている。そこには光も希望もない。ただ、黙々と食べる。それだけだ。その孤独感がどれだけ人の心を蝕むのかを他人に理解してもらうのはとても難しい。家にいながら、なぜか自分が浮遊しているかのような心細さ。それでも姿を置くには不可欠だという矛盾が、ひどく苦しかった。
どうしてこんな家庭になってしまったのか、それも結局わからない。ただ、自分が求めているのは、どんな形であれ「愛」だった。机を囲む時間だけでなく、日常の些細な瞬間でも、何かしらの愛情を感じたかった。それこそが、自分にとっての切実な願いだった。でも、それは叶わなかった。
現状をどうにか変える手段を考えたこともある。しかし、家族の誰もがその必要性を感じていないようだった。まるで氷の中で転がされるような、無感覚とすら言えるその家庭環境は、言葉にならない絶望感を生み出す。
心に積もり積もって、それでも向き合うしかないこの現状を、ただただ悲しく呑み込むことしかできない。何も変わらぬ家庭、一度も水につかったことのない種のように全く芽を出さない関係、その中でただ生き続ける醜さと悲惨。結局、俺にできるのは、そんな食卓に座り続けることだけなのだ。この沈黙の食卓は、自分が脱出するまでは何も変わらない。愛を知らぬ食卓の支配、それが俺の現実であり、悲しみのすべてだ。[/member]