【投稿者:さくらんぼ(仮名)/30代・女性・滋賀県】
私たちの家族は、昔から一見すると何不自由なく暮らしているように見えました。決して裕福ではなかったけれど、食べるには困らず、表面的には笑顔の絶えない家庭だったと思います。でも、本当はその笑顔は作り物でした。誰も愛を感じられない食卓。それは私にとって、何よりも寂しく、虚しい場所でした。
子供の頃、家に帰るたびに食卓に並ぶ夕食は、どこの家庭にも負けないくらい立派なものでした。でも、その料理を囲む私たち
[member]の間に温かさはありませんでした。ただ黙々と食事をするだけの時間が、毎晩繰り返されていました。会話はほとんどなく、あったとしても用件だけ。誰もがうわべだけの関心を寄せ合っているようでした。
特に私にとって衝撃的だったのは、ある日母がぽろっと漏らした「この家には愛がない」という言葉でした。その時私はまだ小学生で、愛という言葉の持つ重みも理解できませんでした。ただ、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがひび割れるような痛みを感じたことを覚えています。
成長するにつれ、私たち兄弟の間にも距離ができていきました。互いを思いやる言葉は次第に消えて、心のどこかでいつも寂しさを感じていました。家族が何か問題を抱えていることに、私たちは誰一人気づかない振りをしていました。考えるのが怖かったのかもしれません。家のどこを見回しても心が安まる場所がなくて、何をしても家にいるのが苦しくて仕方ありませんでした。
ある日、私は学校で家族の話題が出たとき、自然に自分の家がどれほど愛の無い場所かを話してしまったことがありました。後でそれを聞いた同級生の子が「家族なのにそんなことあるわけないじゃん」と言った時、私は自分がどれほど異常な環境にいるのかと気づかされ、ひとり心の中で涙が止まりませんでした。あまりにも理解されないことが辛くて、その経験が私にとってトラウマのようになっています。
高校生になると、私はもう家には何の期待も抱かなくなりました。家族と顔を合わせることも、食卓を囲むことも、ただの空虚な作業でしかない。みんなが仲良い家族を見るたびに、嫉妬と羨ましさが交差し、自己嫌悪に陥る日々が続きました。特に週末の午前中、家族全員が家にいても、それぞれが自分の部屋で過ごし、意味のない静寂が家を支配しました。その瞬間が、最も耐えがたいものでした。
私が大学に進学するために家を出ることになったとき、家族に何の未練もなかったことに気づきました。それまで一度も当たり前として考えたことのなかった「家族の温かさ」が、ないという事実に愕然とし、それ以上の失望はないと思いました。親にすら、自分の本当の思いをぶつけることはできず、誰かに現実の悲惨さを伝える術もありませんでした。
今でも家族を思い返すたびに、ごく正直に言えば、私の中に残るのは「悲しい」という感情だけです。あの時の自分を抱きしめて、少しでも心を軽くしてやりたいとさえ思います。しかし、過去は変えられません。結局は私ひとりでその影を背負って生きていくしかないのです。誰も知らない食卓、愛を知らない家族崩壊。私はそれを決して誰かに話すことはできません。なぜなら、それは未熟だった私の哀れな声にならない叫びで、理解されないと見越してからこそ、失ったという寂しさが尽きません。[/member]