【投稿者:ゆずる(仮名)/20代・男性・福井県】
私が20代後半の頃、家庭という名の牢獄に囚われていた時間がありました。当時の私は、母と父、そして私の三人でひとつ屋根の下で暮らしていました。表向きには円満な家庭でしたが、その実態は、母が家庭の中で徐々に微笑みを失っていく姿をただ見守ることしかできない、非常に息苦しいものでした。
母は子供の頃から周囲に気を使い、自分の本音を抑えて生きてきた人でした。家族のために何でもこなす、そんな完璧な母でしたが
[member]、その心の内は少しずつ疲弊していったのだと思います。私が幼かった頃、あんなに明るく、いつも笑顔で接してくれた母のその微笑みが、ある時から徐々に消え始めたことに気付いていました。
母の変化に気付いていたのは私だけではありませんでした。しかし、それを最も敏感に感じていたのは私でした。父はと言えば、親としての責務に追われ、家庭内のそんな微細な変化には気がつかない、いや、気付こうとしない人でした。そんな父への不満も相まって、母はさらに心を閉ざし、家庭内にて孤立を深めていきました。
その頃、私は毎日が葛藤の連続でした。母に何かしらの助けを差し伸べたいという思いと、当時の自分には何もできないという無力感で押し潰されそうになっていました。母の疲れ果てた目を見れば見るほど、冷たい現実が突き刺さるようでした。私が話しかけても、その答えにはいつもどこか素っ気なさが滲んでおり、心ここにあらずといった様子でした。
一度、どうしても母に笑顔を取り戻させたいと感じ、父と向き合ったことがありました。それが間違いの始まりだったと今でも思っています。私なりに父に対して母のことを伝えようとしたのですが、父は自らのプライドが邪魔をし、結局、全ては私の思い過ごしだと言い切られてしまいました。それどころか、それがきっかけで父と母の仲がさらに悪化し、家庭内は一層沈んだものになっていったのです。
あの時、もっと力を持って母を助けることができたのではないか、何度も自責の念に駆られました。しかし、実際には何もできていない、そう思うたびに、また心が沈んでいくのです。母が少しでも安心して笑うことのできる場所を提供できなかった自分がただただ嫌になるばかりでした。
今は過去の出来事としてそれを語ることができますが、当時を振り返ると、あの鎖に繋がれたような日々が胸を締め付けます。結局、母の微笑みは完全には戻ることはありませんでした。その後も、家族として一緒に過ごす日々の中で、笑顔が時折蘇ることはあったものの、常にその背後に重苦しい空気がまとわりついていました。
当時の自分にはその状況を変える力は無く、ただその日常を受け入れるしかありませんでした。今でもあの時の母の冷めた目を思い出すと、心の中で何かが崩れそうになります。この体験を経て、私は自分の無力さを初めて嫌というほど味わったのです。そして、それは今でも私の心に深い傷として消えることなく残り続けています。毎日が過ぎ去る現在の生活でさえ、あの日々の重さを背負ったままなのが、何とも言えない悲しみを伴うのです。[/member]