【投稿者:ハルキ(仮名)/30代・女性・新潟県】
私は、家庭という囲いの中で笑顔を絶やさずにいることが義務のように育ちました。母は「隣の芝生は青いって言うけれど、私たちの芝生も負けてないわよ」と言って、それが誇りであるかのようでした。それでも、私の心の中には常に重い石が一つ追加されているような感覚があったのです。
毎日、家族という名の小さな檻の中で、私は微笑みながら日常を過ごしていました。でも、私のその微笑みの裏には、とても言葉では表現できない
[member]無数の叫びがあったんです。父は、家族に支配的で、私たちは彼が何を言おうと逆らうことはできませんでした。一見すると、何不自由ない生活を送っているように見えますが、それは事実とはかけ離れていました。
ある日、悪夢のような出来事がありました。日々のストレスから父が些細なことに激昂し、母と口論になりました。いつものことではあったのですが、その日はいつもと何かが違いました。父は感情を抑えきれず、物に当たり、母に手をあげたのです。私は恐怖と悲しさからその光景を直視することができませんでした。その場にいた私は、役立たずで、ただ振り返ったそれぞれの背中を見つめることしかできなかった自分に腹が立ちました。
今でも、その日のことは鮮やかに思い出されます。私はその後、たくさん父に「なぜ?」と質問したかったけれど、心の中でその言葉たちは声に出ることなく霧散してしまいました。家族は沈黙を選びました。その出来事はなかったかのように扱われ、翌日にはまた日常が続きました。笑顔を作るのには慣れていましたが、それを維持することの苦痛さは、日々、私の心を蝕んでいきました。
どんなに心の奥で叫んでも、その声は誰にも届きません。この檻の中ではだれも聞く耳を持たないのです。母も、弟も皆、それぞれの方法でこの現実を無視しているかのように見えました。一人で抱えきれないほどの心の重圧は、私の心を傷つけ続けるだけでした。
そして、ついに自分の本当の気持ちを抱えきれなくなった私は、自分自身とはなにかという疑問に取り付かれました。笑顔の仮面を取り去ったら、一体何が残るのか。私が私でいる必要はあるのか。ただ、心の叫びを無視し続けるように強制された私にとって、自分という存在そのものが重荷でしかないのかと思うこともありました。
こんなにも具合が悪いのに、誰に助けを求めることもできない。助けを求める勇気も持てない自分が情けなくて、どうしてこんな簡単なことさえできないのかと、何度も自問しました。この家族で見せる笑顔は、一体誰のためなのか。愛されるために必要と言われた「家族」という名の檻の中で、私は存在しているだけなのでしょうか。
現在になっても何一つ変わらず、我が家では笑顔が絶えません。それがどれほど悲劇的で、心を蝕んでいくものか、誰にも理解されない。言葉にできぬ叫びを抱えたまま、それでもまた今日も笑顔を作ります。[/member]