「家族写真に映らない母の秘密」

【投稿者:ハルキ(仮名)/30代・女性・愛媛県】

子どもの頃、我が家での家族写真というのは、私にとって複雑で苦い感情を呼び起こすものでした。家族六人が揃って写る写真はほとんどなく、いつも不自然に母が欠けているものでした。幼い私は、単純にその状況を不思議に思い、「どうしてお母さんは写真に入らないの?」と尋ねることもありました。しかし、決まって父は「撮る人が必要だろ」と軽く笑い飛ばし、秘密のベールをかけ続けるような答えを返していました。

次第に成長
[member]するうちに、どうして母がそこにいないのか、何となくでも理解できるようになりました。母は常に忙しくしていて、家族のために自分を犠牲にしていることを感じ取ることができたのです。朝早くから夜遅くまで働きづめで、帰ってきても家事や子供たちの世話を欠かさずこなすその姿は、いつしか当たり前の風景となってしまいました。しかし、そんな姿を目の当たりにするたびに、無力な自分が悔しくて仕方ありませんでした。

中学に上がる頃、母が実は大きな借金を抱えていることが発覚しました。父は仕事が不安定で、母の自営業で何とか家計を支えていたのだと知った時、今までの何気ない日常の裏側に隠されていた重圧がどれほどのものだったのか、初めて少しだけ理解できた気がしました。当時の私は、どうすることもできず、ただ無力さに打ちひしがれるばかりでした。

高校生になると、私はアルバイトを始め、できるだけ母の負担を減らそうと考えるようになりました。少しでも役に立つ存在になりたい、そんな思いで精一杯頑張ったつもりでしたが、母は「勉強に集中して」と笑顔で言うばかりでした。あんなに強くて優しい母が、いつもなら見せることのない疲れた表情を浮かべることが増え、私たちには見せたくない心の叫びが、静かに何度も聞こえてくるようでした。

それでも、その笑顔にいつしか甘えてしまう自分自身がいました。どこかで、すべてが上手くいくはずだと、本気で信じていた自分がいました。だけど、それが幻想だと気づくには、そう遠くない未来のことでした。

大学に進学し、私は家を出ることになりました。寂しさと希望が入り混じった感情で、新しい環境に踏み出した私。しかし、ある時、実家にそっと帰ってみると、母が心からの笑顔を失っているように見えました。体調も優れず、時々嘔吐してしまうことさえあるようでした。病院に行く暇もないほどに働き詰めだったのでしょう。そう思うと、本人の苦悩に気付かず、何もできなかった自分がいっそう情けなくなってきます。

そして卒業を間近に控えたある日、突然母が大きな病で倒れたのです。駆けつけた病院では、すでに遅すぎると言われ、ただ母の手を握り続けることしかできませんでした。息を引き取る直前、母は「家族写真、もう一度撮れたらよかったね」とかすかに微笑みながらつぶやきました。その最後の言葉を聞いた時、言いようのない悲しみと後悔が胸を押しつぶしました。

それほど純粋で、彼女らしい優しさに満ちた言葉を残して旅立った母。そのとき私は、小さな頃からの全ての時間が一瞬で繋がり、母がどれほど私たちを想い続けてくれたのかをようやく理解しました。しかし、時は戻らず、もう一度あの温かい笑顔を見ることも、再び彼女に感謝の気持ちを直接伝えることも叶わないのです。

振り返るたびに、自分の力の無さばかりが責められて、心の痛みは増すばかりです。家族写真に欠けているその人のために、もっと何かできることがあったのではないかと今も思わずにはいられません。そして、今日も私のアルバムには、母がいない家族写真がまた一枚増えていくだけです。[/member]

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次