【投稿者:ひかり(仮名)/20代・女性・京都府】
家族。それは普通、支え合いと愛情の象徴とされる言葉です。しかし、私にとっては心から愛するゆえに見えなくなるもの、つまり、笑顔の裏に隠された悲しみと痛みを抱える場でもあります。私が今回語りたいのは、私の家族が抱えてきた重い沈黙の話です。悲惨で取り返しのつかない、あの出来事によって浮き彫りになった、私たち家族の痛恨の絆の話をお話しします。
私は、小さな頃から家族のためにできることを必死で探してきまし
[member]た。弟が二人いて、彼らの面倒を見ることが私の役割だと思っていました。両親は共働きで、家にいる時間はほとんどなく、私たち兄妹はいつも一緒にいました。家の中は、表面的には穏やかで、私たちは笑顔でいっぱいの家族だと思われていました。しかし、その笑顔の裏には、語られることのない静かな悲しみがありました。
父親は、優しい人でしたが、次第に会社でのストレスが溜まり、無口になっていきました。夜遅く帰ってきては、黙々と夕食を食べ、そのまま寝室へと向かっていく姿を、私たちは何度も見ました。母は、そんな父を支えようと努力していましたが、いつしかその優しさが裏目に出てしまい、家庭内の会話は極端に減っていきました。私たち兄妹は、その静けさに何かおかしいと感じながらも、何もできずにただ時間が過ぎていくのを待っていました。
あの日も、特別変わった日ではありませんでした。私はいつものように学校から帰ってくると、一人リビングで宿題をしていました。弟たちは隣の部屋で遊んでいて、母はまだ帰宅する気配がありません。そんな時、一本の電話が鳴りました。それは母からで、声が震えていて、すぐに家に帰ると言っていました。その日、家には不穏な空気が漂い始めました。
母が帰宅し、少しだけ疲れた顔を見せると、私たちを茶の間に集めました。そして、まるで世界が崩れ去るような話を静かに伝えました。「お父さんが事故にあった」と。その言葉が耳に入った瞬間、何かが壊れたような感情が湧き上がりました。周りの音が遠のき、目の前がぐらぐらと揺れ、涙が止まりませんでした。
実際には、私たちは父親の死という現実に直面することになりました。会社での過労が原因だったと後になって知りました。でも、あの時の私には、それがどうしても受け入れられませんでした。家族全員がどこかで笑顔を装っていたことを考えると、父の苦しみをもっと早く理解してあげられなかった自分自身が許せなくなりました。
父の葬儀の日、冷たい雨が静かに降りしきりました。人々は口々に「お父さんは良い人だった」と語り、私の心をさらに締め付けるようでした。私は、ただその場に座って、無言で涙を流しました。母は突然、私を強く抱きしめ、「ごめんね」と何度も繰り返しました。その謝罪はどこに向けられたものなのか、未だに良く分かりません。でも、あの力強い抱擁が、唯一の心の拠り所でした。
以後、私たちは家族として、それぞれが言葉にできない苦しみを抱えて過ごしています。家の中は相変わらず静かで、でもその静けさが心に重くのしかかるのです。私たちは、みんなで家族写真を見つめ、沈黙の中で微笑み合うことしかできません。時が少しだけこの重荷を和らげてくれるのを、ただ待つしかありませんでした。
そう、現実は変わらない。父がいないこと、そのことと向き合いながら、私たち家族は静かに、そしてそれぞれに父を想い続けます。ただただ悲しみに浸ることしかできないこの状況。それでも、この静けさの中で、いつか笑顔が本当に心からのものになる日を願いながら、生きていくしかないのです。[/member]