【投稿者:ちかり(仮名)/40代・女性・兵庫県】
健康のありがたさをいつも忘れがちだった私は、ある日を境に、その何気ない日常が奪われることになる。30歳を迎える少し前、毎日のように体が重く感じ、疲れが取れない日々が続いていました。仕事のストレスかもしれないと、深く考えずにそのまま過ごしていたものの、次第に頭痛や関節の痛みが増え、一歩足を踏み出すのも億劫に感じるようになったんです。
そんな時、とうとう心配する家族にせかされ、渋々医者に行くことにし
[member]ました。診断の結果を聞かされてからというもの、私の心の中で何かが音を立てて崩れ去ったのを覚えています。「膠原病の可能性があります」、そう冷静に告げられた医師の声が、今でも耳に鮮明に残っています。
膠原病――それは、一度聞いただけでは重さが実感できない言葉でした。でも、それが何を意味するのか、調べれば調べるほど深い厄介な病気だとわかり、心臓が締め付けられる思いでした。治療法もどこまでもわからず、原因不明、一生付き合わなければならない病。壮絶な道のりが私の前に立ちはだかっていると理解した瞬間、恐怖と悲しみで押しつぶされそうになりました。
家族は私を支えてくれましたが、薬の副作用で日々の生活がままならなくなる自分を見るのが何よりも辛かったです。顔はむくみ、鏡に映る顔はまるで別人のようでした。周囲の視線も痛く、外に出ることも億劫になり、自分の存在理由すら疑い始めました。毎朝、布団から抜け出せず、天井を見上げては涙が止まらなくなることが続きました。
「どうして私が?」という思いが尽きることなくこみ上げ、自分を責める日々が続きました。友人たちの明るい笑顔や楽しい出来事の話を聞くたびに、ますます孤独を感じ、そのたびに心が軋むように痛みました。病気は全てを奪っていきました。仕事も辞めざるを得ず、生きがいを失いました。
誰かに話したい、助けを求めたいと思いつつ、誰もこの感情を理解できないと思い込み、それもできず。また、一人で部屋にこもり、静かに時計の針が進むのを見て過ごす日々が積み重なり、未来を考える気力をも奪われていきました。
この数年間、病と戦ってきましたが、いまだに自分自身を受け入れることができず、毎晩のように涙が止まらない状態です。日に日に体調は悪化するばかりで、生活の質は何年も改善されていないように感じます。一寸先が見えない不安と通院の日々。命の砂時計が残り少ないように感じられ、恐怖と不安に囚われています。
「健康だったあの頃に戻りたい」――そう願ってもどうにもならず、ただ現状の悲しさに打ちひしがれるばかりで、希望を見出すことができません。みんなは普通に過ごしていることすら、私には障害となり、ただ立ちすくむしかない、そんな日々が続いています。健康のもつ不思議な力を理解できないまま、その大切さを本当の意味で教えられた私は、今も出口のない迷路の中で苦しみ続けています。[/member]