【投稿者:ユキリン(仮名)/40代・女性・栃木県】
人生の中で、これほどまでに悲しく、悲惨な瞬間はなかったかもしれません。あまりにも多くの人にとって、自分自身を偽って生きることが日常になってしまっています。そして、それは私自身にとっても例外ではありませんでした。
私は、ずっと周りに「元気だね」とか「明るいね」とか言われ続けてきました。でも、実際のところ、その笑顔の裏には多くのものが隠されていました。仕事を終え、家に帰ってドアを閉めると、一人の部屋
[member]でふと泣き崩れることが日常でした。理由もわからない。ただ、何か大きな穴が心に空いてしまったような感覚がそこにありました。
その状態が続く中、ある日突然、原因不明の体調不良に見舞われました。病院に行っても、検査をしても、何も異常が見つからない。「特に問題はない」と告げられるたびに、自分がおかしいんじゃないかと、ますます苦しんでいきました。そして、それがさらに私の心を追い詰めました。誰も私のことを理解してくれないのではないかと感じ始め、おそるおそる心を打ち明けようとするたびに、うまく言葉にできずに終わってしまうことが多かったです。
だんだんと、人と会うことさえ辛くなって、仕事以外はほとんど外出しなくなりました。周りの人がどんどん遠のいていく不安感と孤独感。それに加えて身体の痛みや不調が日ごとに増していく。そして、これ以上自分を誤魔化して生きるのは無理だと悟った瞬間があり、私はようやく本心を誰かに打ち明けることを決心しました。
カウンセリングを受けようと決め、初めは自分の気持ちを伝えるのに時間がかかり、涙ばかりが流れました。それでも少しずつ、自分の内にある不安や恐怖、焦りを一つ一つ言葉にしていくうちに、心の奥に溜まっていた悲しみが少しずつ解放されていきました。それは、ほんのわずかな救いでしたが、大きな一歩でもありました。
とはいえ、全ての問題が解決されたわけではありません。今もなお体調は不安定で、心も完全に癒されたとは言えません。毎朝起きて、「今日はいけるかな」と自分に問いかける日々。周りは相変わらず「元気に見える」「明るい」と言ってくれるけれど、そのたびに自分がどれほどその仮面の裏で悲鳴を上げ続けているのかを、どうやって伝えればいいのかわからないのです。
そして、結局、私はまたその微笑む仮面をかぶり、日々を過ごしていきます。誰かに「かわいそうだ」と思われることが簡単ではないこと、そしてそれがどれほど心に痛みをもたらすのかを、誰にも分かってもらえることはないのかもしれません。
この状況が変わることを望み、自分の力で何とかしていくしかないと覚悟しながら、それでもなお、この悲しみから完全に逃れることができない現実に直面しています。それが、私の心の叫びであり、奪われた健康と向き合いながら生きるということの意味なのです。[/member]