【投稿者:みずき(仮名)/30代・男性・奈良県】
私は人と接することが苦手だった。その原因は小学校の時に遡る。私は周りから「変わっている」と言われ、疎外されることが多かった。何が変わっているのか自分ではわからなかったが、それがある日突然、「他人という名の仮面」を被ることを覚えたきっかけだった。
中学生になると、さらに状況は悪化した。ただでさえ内向的な性格が災いし、クラスメートとの関係は最悪だった。特に、昼休みやグループ活動の時間が嫌で堪らなかっ
[member]た。目の前に座る子たちが笑い合い、私を見て何か囁くたびに、自分の存在なんてなかった方がいいと思ったものだ。悲劇は、今でも忘れられないある日のことから始まる。
その日、学校でクラスメートに酷く嘲笑された。帰宅後、部屋に閉じこもり涙が枯れるまで泣いた。親に相談する勇気もなく、一人で抱え込むしかなかった。「自分がもっと他人とうまくやれる人間なら」と、自分を責め続けた。そんな時、他人が求める「普通」の仮面を被ろうと必死になったが、それさえも上手くいかず、苦しみは募るばかりだった。
高校に進んでも、それは変わらなかった。相変わらず自分を抑えて、皆と同じように振る舞おうと必死だった。でも、結局、それは表面上のものでしかなく、心の奥底は誰にも届かない孤独なものだった。放課後に一人で校舎を後にする自分が、どれほど虚しかったか語り切れない。そして、日が経つにつれ、仮面の重さに耐えきれなくなっていった。
そんなある夜のことだった。いつものようにベッドに潜り込み、眠ろうとしたその瞬間、心の蓋が突如として開いた。全ての感情が溢れ出した。どうしようもない絶望が、全身を突き抜け、涙が止まらなかった。「自分は何故こんなにも一人なのか」と問い続けるたびに、心はズタズタになり、絶望の淵に沈んでいく感覚が鮮明に蘇ってくる。
人との関係に対する苦手意識が段々と習慣化し、気がつけば高校生活も後半に差し掛かっていた。友だちはおらず、一人で過ごす時間がすっかり日常化していた。人とすれ違えば身体を縮め、顔を見られないように目を伏せた。孤独だったが、それが自分にとっての「普通」になっていた。
その時、初めて思ってしまったんだ。「このまま、消えてしまいたい」と。自分自身を惨めに感じ、どんなに努力しても人との壁を越えられない現実が、心に大きな影を落としていた。世間話すらまともにできない自分に自己嫌悪し、「どうして普通にできないんだ」と毎日のように自問自答した。
今、俺はあの頃と比べて少しは変わったのだろうか。社会に出て、仕事をしている今も、他人という名の仮面を手放すことはできていない。無理に作った笑顔と明るい声で職場ではそれなりに過ごしているが、心の奥ではあの頃の自分が今も変わらず、うずくまり続けている。
他者の言葉に一喜一憂し、そのたびに自分を守るための仮面を調整している。しかし、心の叫びは誰にも届かず、理解されず、一人静かにこだまする。周囲に囲まれていても、心はいつまでも孤立し続ける。まるで永久の闇に囚われたように、出口のない悲しみと共に日々を送っている。
このまま、この仮面に押しつぶされるように終わっていくのかもしれない。それでも、今日もまた、他人という名の仮面をまといながら、日々を生きる自分がいる。この悲しみは、どうやっても終わりを迎えないまま、心に巣食っているのかもしれない。[/member]